2017年6月26日月曜日

足らずを積む

-1に-1を足すと-2になる。不足同士を足せば不足は増える。

僕らは毎日何かを得て生きている。
しかし、中には得られなかったモノもあるはずだ。
得られなかったモノを見ることは難しい。得られなかったからこそ「そこには無い」のであるが、実際は得られなかった事実はカウントされ、蓄積されている。

だから「ある」とも言える。-2である。
例えば、「毎日コツコツと勉強した」は目に見えやすいので、結果に結びつけば「あの時しっかりと勉強したからな」と振り返ることもできるだろう。

一方、毎日全く勉強をしなかった場合も、結果は訪れる。この場合「あの時しっかりと勉強しなかったからな」とは言わない。「あの時少しでも勉強をしていれば…」となるケースが多いだろう。
この言葉が出るときは、結果は良くなかったのかもしれない。それでも「少しでも」と認知できているので、自分が不足だったことをちょっとは考えている。この場合は「良い方向に向かうといいね」と省みるだろう。

「勉強をしていなかったことすら自覚できていない」となると厳しい。不足は目に見えづらいので反省がしづらい。認識が難しいのだ。-2が見えていない。「無いものを見る」のは難しい。なんだか禅問答みたいね。

…と言い、今日も僕は知らぬ間に蓄積された、自身の不足を振り返るのであった。

2017年6月7日水曜日

ちかくに行くという知覚

よく若者が〇〇から離れている、というニュースがある。

これわざとなんじゃないか?というぐらい定型文として使われている。車、日本酒、タバコ、旅行、パチンコ…。
そのうち「若者の若者離れ」みたいに言われちゃうんじゃないかというぐらいだ(もうあるかも)

ところで、「離れ」と言うからには、過去に若者たちがそれらにくっついていた事実があったのか、と言われれば、そういうことではない。

簡単に言うと「離れ」とは、「昔の」若者は興味があったけど「今の」若者は興味がない。ってことだ。つまり、比較する若者が異なることになる。それって厳密には離れてないのではないか。

たぶん、興味の対象について、「今の」若者は最初から興味がない。
離れているのではなく、そもそも近づいていない。もしかしたら若者からしたら、興味がないことすら気づいていないレベルなのかもしれない。

この「離れ」を使っているのは「昔」若者だった人たちが「今の」若者たちに向けて使っている言葉だと想像できる。ずいぶん勝手な日本語に聞こえる。

対象が商品やサービスなのだとしたら、提供する側は、若者世代の取り込みに失敗していることになる。離れているのは果たしてどっちなのだろう?