2017年5月29日月曜日

広大な空白

今日はパッと思ったことを推敲せず書きます。

多くの人たちは遅刻せず会社行く。あれだけでも僕は十分すぎるぐらい偉い!って思うんです。僕が会社員の頃は10時出社で、出社していたのは大抵9時55分でした…。
何か自分の中での厳しいことを守り続けるって大事なことだし、それは人の信頼にもつながるのですが、だからといって、目標を厳しく縛ってしまうことは、必ずしも良いことばかりとは限らないと思います。
今いる場所からゴールを定義し過ぎてしまうと、そのスキマが「広大な土地」だったのが「ギャップ」へと変貌する。そうなると負担になるかもしれない。
バランス大事、楽に行きましょ。

2017年5月23日火曜日

「いいあんばい」

Twitterで、僕は「まあまあ健康であれば上出来だ」と書いた。

僕の中で日常大事にしているのは「いいあんばい」である。丁度良い加減、みたいなニュアンスだろう。

健康で言うと「めちゃくちゃ健康」でも確かに嬉しい。僕だって、食べ物には気を付けているし、睡眠時間も取っている。運動もちょくちょくしているし、ストレスを溜めないように工夫もしている。
しかし、それでも現実的に毎日がめちゃくちゃ健康であることは難しい。というのも、体にはその日によって調子のよさにバラつきがあり、色んな外的な要素も関係してくる。だから調子が良くない日だって普通にある。注意していても風邪を引くこともあるかもしれない。

もし仮に僕が「人は毎日めちゃくちゃ健康であるべきだ」と標榜したとしたら、結構疲れると思う。掲げたものに対して、現実が追いつかないからである。「何故今日は筋肉痛なんだ!」と腹を立ててもきりが無い。そんな時に「まあまあ健康」を意識していれば、「こういう日もあるから気を付けよう」ぐらいに思えるようになる。

自分にとって重荷にならない、は結構大切ですね。

2017年5月19日金曜日

分業

自分の体内で働く自分を100人としたときに、どういう風に働いているんだろう。
と今少し思った。

2017年5月16日火曜日

静寂に聞く

基本的に僕は静かな空間が好きで、生活する中でもなるべく大きな音からは遠ざかりたい、静寂を感じる空間に居たいと思っている。人によって「静かな状況」とはどういうものか、抱くイメージが異なるかもしれないが、ここでは単に、音が小さい、耳に入ってくる音の数が少ない、といった意味を指す。

日常の中で、静かな場所、騒がしい場所とはどういうところだろうか。適当に書き出してみた。

静かな場所。
イメージとしては「人為的な大きな音が少なく、騒音の発生源などから離れている」ような場所だろうか。例えば、都市部でも一戸建ての多い住宅地だと、昼も夜も静かなことが多いと感じる。車の通りは一日を通して少なく、人通りが多くなることもそれほどない。
だだっ広い場所も静かなことが多い。具体的には、草原とか、貯水池とか、公園とか霊園とかである。個人的にオススメなのは霊園だ。お墓の近くは敬遠する人もいて、家賃も安かったりする。騒音になる原因がほとんどないので、本当に静かで過ごしやすい。自分はかつて2度、お墓の近くの家に住んだことがある。
学校のように、昼は喧騒がするが、夜になるとめちゃくちゃ静か、という場所もある。神社やお寺の近くも、静かなことが多い、たまに夜は悪いにいちゃんのたまり場になってたりするようだが…。防音の設備がある部屋なども、静かな場所と言える。地下にあれば相当静かな環境を作れるだろう。


騒音の多い場所。
イメージとしては、「騒音の発生源が近くにあり、一日中大きな音が発生する可能性がある」ような場所だろうか。そう考えると都市部に多い。例えば、幹線道路の傍。深夜でも大型トラックやタクシーが頻繁に通るから、車の走行音が絶えにくい。それと総合病院の近く、救急車のサイレンがひっきりなしという病院もある。工場の近くとかも騒音が大きくなりがちだ、大型の車が行きかうとか、工場内の機械の稼働音等が昼夜問わず聞こえるような場所もある。あとは鉄道の線路の近く。言うまでもなく、列車の走行音が発生する。
自分はかつて、飛行機の航路の真下にあたる土地に住んでいたことがある。これはもう事前に調べるしかないかもしれない。割と離発着の多い空港だったので、ひっきりなしに飛行機の音が聞こえてくる。よく何年も耐えたものである。
また、プロ野球が行われる球場近くに住んでいたこともある。夜になると試合があるから、当然歓声も聞こえてくる。聞こえる応援歌によって、誰がバッターボックスに立っているかも分かるぐらいだ。よく何年も耐えたものである。
ここまでは、人為的な騒音だが、自然の中にも大きな音はある。例えば波の音だ。親戚の家が海の目の前なのだが、もちろん一日中波が押し寄せる音が聞こえる。風情があると言えばあるが、これが慣れないとなかなかつらい。
あと、田んぼの近くの家だと、夏場はカエルの鳴き声でとても騒がしい。これも慣れれば気にならないかもしれない。
森の中でも、例えば鳥のさえずりなどもある。これが何羽も同時に鳴いていれば、結構騒がしいと感じる。風情とは、心に余裕がある時にこそ感じ取れるものだと思う。
以上のような、騒音が発生するような場所は、引っ越しの際に結構調べたりする。

生活する中で、音はかならず発生するものだ。賑やかなのが好きという人も多いと思うが、僕の場合は、作業をするときは静かな方が良いので、やはり静かな空間を選びたい。


そういえば、10年ほど前に青森県の十和田湖に言った時、日の出前に外に出て、湖畔でぼーっとしていると、あまりの静寂に感動したことがある。もしいつか郊外に住むとしたら、こういった、静かなところに引っ越したいと思う。

2017年5月13日土曜日

主語サイズ変更の願望

主語のサイズを変更して話す行為は、僕の中では、会話におけるルール違反みたいな認識をしている。「個人の願望」が「不特定多数の意見」であるかのようにすり替わってしまう行為になりやすいからである。

例えば、

「私はドーナッツが好きなので、ドーナッツ屋が近所にできてほしいなあ」

という「個人の願望」を、

「近隣の住民たちからドーナッツが好きという声が出ている、なのでドーナッツ屋を近所に作るべきだ」

と「不特定多数の意見」っぽく置き換えてしまうような行為である。Twitter等で見かけたことはないだろうか?
この場合、後の文の「近隣の住民」には恐らく「私」が含まれているので、間違ってはいないかもしれないが誤解を招きかねない。ただの願望をもっともらしい「意見」であるかのように変更し、主語を拡大させることによって、自分の望ましい方向へ持って行こうとしているようだ。

これは故意かどうかはともかく、他人への伝わり方の問題だ。こういう話があると「そんなにドーナツ食べたきゃ、自分のチカラで探せばいいのに…」と思ってしまう。

上記は極端な例かもしれないが、現実に発生しているようなクレームの内容とかをよくよく読んでみると、「それはアナタの願望なだけでは?」みたいなことをよくみかける。願望成就のために主語の規模を変えてしまうのは、会話に歪みを発生させてしまうかもしれない。
願望なら「私はこう考えているので、こうしてほしい」と書けばいいのだ。考えを持って書けば少なくとも「個人の意見」となる。
そもそも、願望と意見は別のものだ。その認識は忘れずにいたい。

2017年5月8日月曜日

遠回しおつりメモ

「千円札が不足しています」

と書かれたメモが、飲食店やコンビニのレジの近くに貼られているのをよく見かける。うちの近所の喫茶店では、いつもこのメモが貼られている。そのお店では、万年、千円札が不足している状態なのだろうか。

「千円札が足りていない状態」とはどういうことか。いつもそのメモ書きがお店に貼ってあるとしたら、不足する理由があると想像できる。千円札が減る状況とはつまり、お店側がおつりで多くの千円札を渡すということだから、おのずとお客さんの中に「五千円札や一万円札でお会計する人が多い」ことになる。

この文言がお客さんに対して伝えたいメッセージとしては「少額な金額で、あまり一万円では出さないでね」とか、「両替目的は控えてね」という感じだろうか。実際レジ打ちで、大きな額のおつりが出る万札を出されると困ることがある。ヒューマンエラーも発生するかもしれない。お店のリスク回避として、そういうメモが張られている可能性はある。

「千円札と五千円札が不足しています」と書かれたメモも見たことがある。これは、お会計が四千円前後になることが多いお店で、一万円札で支払われると、五千円札と端数でおつりが発生することが多いお店なのかもしれない。真相をお店に確かめたわけではないけれど、そういう意図が込められてるのかなあと思う。

また、優しい人であれば、そのメッセージをそのまま受け取って、千円札で払ってくれるお客さんもいるかもしれない。その場合は、お店にとっても、まあありがたいと言える。

もしかするとお店によって動機は異なるかもしれないけど、「その言葉の奥にある目的」のようなものを感じる言葉って、自分の知らないところでも、いっぱいあるのかもと思ったのでした。

2017年5月2日火曜日

幸ある街道を進む

行動は思考の結果の数々だ。

張り巡らされた思考の道は無数に広がって、幾つかの点に到達している。
その点は色がついていたり、サイズが違ったり、形が違っていたりする。

キミが望んだものは、未来にその通りになる。例えば、「耳かきがほしい」と望めば、そう遠くない未来にキミは耳かきが手に入る可能性が高い。もう少し簡単な物事でもいい。「その通りになる」の精度は個人差があるかもしれない。

しかし、結果に行き着くためには思考と行動が必ず伴う。例え耳かきひとつの話でも、到達するための幾つかの点がきっと存在する。

点の精度が高ければ、きっとキミが望ましい場所に到達できる可能性は高くなる。
幸ある街道を進もう。