2017年1月8日日曜日

反射と鍵

道を歩いている時、どこか近くで車のクラクションが鳴ると、びっくりして音の発生した方を振り返る。これは、けたたましい音にびっくりして振り返っただけであり、車の様子がカッコかったからでもなく、クラクション音が心地よかったからでもない。単なる人の反射である。聞こえたから振り返ったのだ。

映像でも似たようなことがあって、例えば真っ暗な画面から明るい画面に切り替わると見ている人は目がくらむ。見る側からすると受け身な反応であり反射のひとつだ。光がびっくりするほど美しかったわけではない。感動ではなく単なるリアクションであって、その表現自体が人の心を揺さぶったわけではない。

創作は、人をびっくりさせるもの、意外な何かを見せるもの、という面がある。そのため、とにかく見る人に反射させよう、という創作物もある。それが悪いわけではないし、まず見てもらうためには注目したくなるような仕掛けを施す必要がある。ただ、見る側にあまりにも何もさせない作品だと、そのうち飽きられてしまう。クラクション音も、2回、3回と鳴らされたら振り向かなくなる人もいるかもしれない。反射を活用する時、同じ手はそう何度も通じないのが弱点だ。

一方、絵画などを見るときは、見る側は自発的にならざるを得ない(Twitter等に上がるイラストとかでも、注目している時間はきっと自発的になると思う)。絵画は基本的に動かないし、終わりが無い。終わらせるとしたら見る人がその場から立ち去るだけだ。
同じ絵を見るにしても、人によって感じるポイントは異なる。それは、絵と自分が向き合った時、自分の中で生成された感動ポイントがあって、感動ポイントに触れることで、作品の良し悪しや、発生した感情を認知する。

感動は見る側にとって自発的なものであり、見る人にとって「良い」と感じる素養があるから、心が動く。作り手は見る人の心を直截動かすことはできない。ただ、心を動かすためのキッカケ、鍵っぽいものを渡すことはできる。感動の為の鍵を使うかどうかは受け手次第だと自分は考えている。

2017年1月3日火曜日

2017年です

あけましておめでとうございます。熊本です。
本年も仕事や創作活動に尽力して突き進んでいこうと思います。

今日は語彙に関するお話です。
僕は会社員をやっていた頃から、自分がつかう言葉には気を付けてきましたが、
言葉に関連するものに語彙、というものがあります。
語彙とは「普段あらゆる環境で自分が使用している言葉たちのグループ」
みたいな意味合いで僕は認知しています。「言葉群」みたいなものでしょうか。
僕が映像制作者として振舞うときの語彙には幾つかのカタカナ語が入ります。
例えば「レイアウト」という言葉を頻繁に使いますが、
これは画面の中の人物やものの配置、見栄え(の良さ)などを意味しています。
そして、そのレイアウトに付随するように、コントラスト、画角、コントラポスト、フレーム
などの関連する言葉がでてきます。こういった、共通性のある環境やグループに
おける言葉のひと固まりを語彙と言っているのです。
語彙に優れている人やそういう状況を「語彙力がある」と言ったりします。
僕はまだまだ語彙力がある、という段階にはなかなか行きつけておりませんが、もし語彙力があると、適切な場面で適切な言葉が出やすくなり、コミュニケーションの
選択範囲が広がる印象があります。すくなくとも「あれ」「それ」としか言えないよりは
ずっと会話が続くでしょうし、人に説明をするときにも有効に働くでしょう。
自分にとっての語彙とは、語彙力とは何か、
正月はそんなことをちょっと考えておりました。

本年も、宜しくお願いします。