2015年7月26日日曜日

記憶と上書き保存

ふと気まぐれに自分が昔住んでいた区画付近を
ストリートビューで見てみた。その土地に引っ越してきたのは
20数年前だ。その時の記憶と照らし合わせてみる。
20数年前と一切変わっていない建物が多く、
景色って案外変わらないものだなあと思いながら見ていた。
一方、ある区画はもう完全に様相が変わってしまっていた。

もはや僕の記憶ではそこに何があったのか思い出せない。
また僕が一時期通っていた保育園は撤去されていた。
何か、記録に残したり写真で残していなければ、
そのうち僕の保育園の記憶ももっと薄れるだろう。
こうやって自分の中の景色は上書きされていくんだろうか
とか考えていた。

2015年7月17日金曜日

引用


誰でも、情報を引用して、人を誘導することが簡単になった。
誰かの言葉やサイトを引用したりリツイートして
「それな」って言うことは簡単だ。
良い文章や、ためになりそうな記事を拾ったら
ちょっと注目される、みたいなことはあるかもしれない。

ただ、僕はそういうものにはあまり興味は無くて、
自分で感じて自分で思って自分で調べて自分で考える、
そういう過程を経たその人の言葉の方が僕は興味がある。

2015年7月1日水曜日

機能プラスアルファ

スーパーでお米を買う時、どれを買ってもある程度美味しい。
別にスーパーでは無くても酒屋でも米屋でもいい。僕は時々違った種類のお米を買って食べ比べることがあるがどのお米も美味しいなあと感じる。
消費者としては、安くて美味しければ基本的には良いのだが、もしお米が5種類陳列されていたらどれを買えばよいかちょっと迷うだろうと思う。
今日では、こういった「既に商品としての機能を十分備えた商品」が溢れている。これはもう礼儀みたいなもので、あって普通という認識が消費者の中にはあるとみてよい。供給者側としてもなんとか顧客を確保する必要がある。

そこで、何かモノを売るというよりそのモノに対して
付加価値を含ませてあげるみたいなサービスはほとんどデフォルトだろうと思う。米の例で言えば、
「特別に認可された土地で作っているお米です!」とか
「農薬を極限まで使わない工程で作られたお米です!」とか
「米作りに携わったのは17歳の美少女です!」とか
そういう特別な価値が消費者にとってのフックとなるかもしれない。そう言えばお米の袋にかわいい女の子キャラのイラストが描かれたものもあったねえ。
更に付け加えるとしたら、消費者個人にまさに訴えかけるようなダイレクトな売り方。健康に気を使う高齢者のために米だけではなく健康食材をオススメするとかその人の立場に立った売り方等である。
もちろん、これらのような売り方は、前述のように
「商品の機能として、ある程度のクオリティが確保されている」
のが前提となる。 みんなお金を出すからにはちょっとは得をしたいし、特別感を味わいたい。そう考えるのは決して不思議なことではない。