2015年5月30日土曜日

意味の更新

言葉の意味は人によって違う。
人と話す時、同じ単語を使っていたとしてもなんとなく自分が外しているような感覚を
持つことがある。そういう時は「僕はこういう意味でこの言葉を使っている」
というのを事前に伝えておけば伝達率は上がるようである。

しかし、場合によっては自分自身の中でも実は案外言葉の意味にブレが生じている、みたいなことがある。例えば、僕は最近「快適」という言葉の意味が少し更新された。10年前に使っていた快適とは、明らかに違う「快適さ」を自分が求めていることに気がついたからだ。
具体的にはクーラーがついていることが10年前の僕にとっては「快適」だったが今の僕では実は体に負担をかけてしまうものとしてクーラーは認識されている。必ずしも快適とは言えなくなった。だから僕が「クーラーは快適ですね」という言葉を使うことはちょっと語弊が生じるかもしれない。別の言葉で言い換える必要があるだろう(そもそも、最近はクーラーとは言わずエアコンって言ってる気がする)。

自分の中ですら、こう言うことが日常的にある以上、言葉の調整みたいなものは割と定期的に行う方が伝達もラクなのかなぁ、とちょっと思ったのでした。

2015年5月28日木曜日

じぶんわらわら

例えば、10歳の自分が作った作品は、今の自分には作ることができない。
10歳の自分の作品は生涯残るが、もし10歳の時に作らなかったら、
「10歳の自分の作品」は永久に作られることはない。
そして、それは現在においても全く同じことが言える。
「現在の自分の作品」は、現在の自分にしか作ることができない。

過去から今にかけて多くの作品を作り続けている人を見ると
その人がたくさんいるようで、少し楽しくなってくる。

2015年5月14日木曜日

何もしないサイクル

自分はたまに、「何もしない時間」を作ることがある。
それはせいぜい30分から1時間ぐらいで、そこに自分のやりたかったことを放り込むこともあるが、本当に何もしないこともある。ただし、だらだらするのは好きではないので、そうやって自分で開始から終了までの期間を決めるのである。
創作のためにはまとまった時間が必要なので、少しでも自分が動ける時間を確保することは必須だが、それでも、空白の時間で自分の中の情報を整理整頓するような役割もある。そういう意味では、この何もしない時間は、少々違った趣で役に立っているかもしれない。

ところで、24時間の中で、自分の生命維持に必要な行動に要する時間ってどのぐらいなんだろうか。例えば僕の場合、睡眠はほぼ7時間確保する。食事も3食合わせれば2時間は行くだろうか。そのほかお風呂やら洗濯やらの家事を含めると、もっと多くの時間が1日の中に組み込まれている。通勤や通学をしている人であれば、それだけで4時間近く取られている人もいると思う。
そうやって考えると、人の生命維持ってなんて非効率的なんだろう…と思うけど、だからと言ってこれらを簡単に削ることはできない。こうした時間は埋没費用みたいなもので、全てを取り返そうと思ってはいけない。明らかに長すぎる場合は、自分の努力の範疇で短縮する方法を考えても良いと思うが、過度に削れば、どこかで必ず体調を崩して、結局多くの時間をロスすることになりかねない。長期的に見ればとても損である。
自分が1日に使える時間はどこかで限られるのだから、その中でやりくりし、自分の「悪くない状態」を維持することの方が重要に思えてくる。
と、「何もしない時間」を使ってそんな事を考えていた早朝でした…。