2015年4月12日日曜日

作業と音楽

何か作業の時にかける音楽のことを、作業用BGMなどと言われたりする。
絵を描く時や掃除をする時、勉強する時などに音楽を流すことで、ムードを高めたり、心を落ちつけたり、効率化をはかったりする際に役に立つかもしれない。電車で移動中や、車を運転中の時にかける音楽は作業用BGMとは多分言わない。移動用BGMとか言ったりするのだろうか?
映像や作画のスタジオでは、ヘッドフォンをして作業している人がとても多い。
人によっては「他人から声をかけられないように」とか「周囲の雑音をシャットアウトする」という意図でヘッドフォンをしている人もいるようなので、一定の効果はあると思う。自分もそういう風に作業をしたことはある。
僕は、仕事中はBGMをかけることはあまりしなくなった。例えばアニメーションの絵コンテや作画や撮影編集で、絵コンテの場合は尺を計る作業があるので、音楽は流すことができない。絵を描くときは音楽を流すこともあるが、出来るだけ気が散らないように静かなインストゥルメンタルをかける。撮影の場合も、編集の場合もタイミングを調整するので、音楽を聴きながらの作業はできない。ただし、作画の彩色など、反復作業になりやすい作業時には、曲をかけることはある。そう言えば、音響の友人によると、音響の作業をしている時もやはり曲はかけられないらしい。
読書するとき等であれば、音楽をかけてもいいかもしれない。音楽を聴くときは、できればほかに作業はせず、静かで何もしない状態で聴くことが多い。

2015年4月11日土曜日

きざしっぽいものを感じ取る

兆しとは、気配、予感、予知、兆候、気配などのことで、例えば暖かくなってきたら「春の兆し」とか雨が止めば「天気の回復の兆し」、等といったりする。
敏感な人であれば、その兆しは早い段階から感じ取ることができる。もう少しシンプルに言い換えれば変化のきっかけだ。
変化のきっかけには、何かが加速する瞬間がある。それはゆっくりと加速するかもしれないし、瞬発的に現れることもあるだろう。もしかすると、兆しという言葉が当てはまらないぐらい小さなものもあるかもしれない。

映像は兆しの連続と言えるかもしれない。映像には時間がある以上、見ている人が興味を失わないために変化を描く必要がある。だから、映像の中に、大小さまざまな兆しをいれることで、映像に緩急をつける。
例えば、テーブルにお茶碗があり、ご飯が盛られているとする。主人公は空腹ではないのでご飯には目もくれない、しかし時間が経てば空腹になるので徐々に食欲が出てくる。そうなれば、主人公はご飯を見て何か考えるはずだ。お箸を取ってすぐにでもご飯をたべるか、おかずを買ってくるか、それとも電子レンジでご飯を温めるか…。これらの主人公の行動は、空腹の兆しを見せておくことで、より面白く引き立てることも可能だ。
兆しは素早くやってくるかもしれないし、じわじわと感じさせるものかもしれない。映像は、この特性を上手く活かすことで面白く見せることができる可能性がある。
ところで「第六感」という言葉があるが、本人の気づく力、観察力あるいは洞察力によって「もしかしたらこういうことが起きるのではないか」というのを感じているものなのかな、と思う(もうすぐ春だなあ、みたいな感じ)。日常で色んな物事を観察していれば、些細な変化に気づく精度は上がるかもしれない。敏感な人であれば、変化がもたらす先の現象・結果を想像することもできる。
兆しとは、加速する変化のきっかけみたいなもので、人が想像するための初期段階に発生する観察のように思う。