2015年3月27日金曜日

「とても影響を受けたもの」 とは


創作において、何か作っている本人が「とても影響を受けた」と認識する作品の基準ってなんだろうね、と先日創作仲間でもある友人と話していた。
 
例えば、もののシリアス度、笑いを入れる割合、悪と認識される水準、キャラ同士の距離感、死生観、言葉の使われ方、諭してくれる誰かの存在、などの水準において、その人に影響を与えまくった作品は「とても影響を受けた」と言っていいかもしれない。そこに媒体の違いはそれほど問題にはならないような気がする。
「人をだましてはいけません」という状況にも人によって水準があるはずだ。「こういうだまし方はまあやむなし」、と考える人もいれば、「だます行為そのものがいけない」、と考える人もいる。自分にとってその基準が近い作品や作者であれば「信頼できる」「影響を受けたい」と考えるかもしれない。
創作とは基本的に作り出されるものは嘘、だが、作る人のさまざまな何かは込められる。どんなに本人が否定しようとしても、大事にしているもの、好きなもの、許せないもの、などはどこかでにじみ出る。その感度が作り手と観賞者で近ければ、創作物がカギとなり、観賞する人の感覚を開いてゆく、みたいな感じはあると僕は思う。

2015年3月4日水曜日

地図

地図からは色んな事がわかる。漫画や映像作品を見る時も、自分のなかで想像して地図を描いたりすることも多い。というより、地図が無いと色んな想像を展開させるのが難しいとすら感じる。多分、僕が好きな都市を育成するシミュレーションゲーム、シムシティの影響が強いのだと思う。
地図は俯瞰的な視点なのも大きい。見下ろすというのは安心感があるのだろうか。

初めて自分が漫画の二次創作を描いたのは小学校の2年生ぐらいのころだ。その時も、
作品内では無かった地図の設定を自分で考えて書いたりしていた。適当に書いたわけではなく、漫画内での描写から、当時の自分なりに整合性を持たせて書いた。
自主制作でも僕はどの作品でも地図を必ず書いている。どのキャラがどこに住んでいるのか、とかどこにどんな施設があるのか、距離はどのくらいか、どのような気候か、など。絵コンテをの仕事の際も、簡易的に地図を書く、たぶん絵コンテを書く人であれば、みんなやっていることだと思う。実際にどこからカメラを撮ればどういう画面になるかを想像しながら地図を書くのも楽しい。そういう工程を経るから、地図を作ることは映像制作にもかなり深く関与していると思う。