2014年12月28日日曜日

稀の傾斜

稀さ、というのはその人にとっての価値に直結する。得難いとか、レアだなと本人が思う時の要素として時間と言うのは重要な要素となる。例えば、100年に一度の完成度を誇る名酒、があったとすれば、お酒そのものの機能的な価値よりも、人によっては100年に一度の完成度、のほうが価値としては高いと考える人もいるかもしれない。
先日も、ある記念商品が数量限定販売されるとかで、それがほしい人で売り場がごった返す、みたいなことがあった。記念である、数量限定である、この日にしか手に入らない、などの価値の掛け算が発生した結果、多くの人が詰めかけたのだと思われる。
考え方によっては、モノ、場所、イベント、自然現象、等も本人にとって、稀少さの方向に傾きが発生して価値が高いものになる。本人の受け取り方次第、なのかもしれない。

2014年12月8日月曜日

色彩変化と迷子

最近は朝7時~8時に、自転車で走ることが多い。丁度その時間帯は通勤や通学の人が歩いている時間帯なので、自分も出勤するつもりで走る。

走る時間帯によって雰囲気も異なるから気分も変わってくる。早朝だとまだ空気も澄んでおり、徐々に周囲に陽の光が当たってくることで明度が上がってくる。体はとても冷えるが、それでも静かな時間帯を走ると、目も冴えて気分が良い。「冬はつとめて」の感覚かも。夕刻だと色が赤みがかってくる時間帯が良い。景色の色彩変化を楽しめる。夜は夜で、独特の静けさがあって良いが、さすがに冬は少々冷える。夜に走るのであれば、夏場の方が良いと感じる。1、2時間ほど朝に運動しておけば、夜は早い時間で眠くなるので、やはり運動は朝の方が良いのかもしれない。

ところで、自分の住む地域から少し離れたところにとても静かな住宅地がある。その地域は高い建物を建設してはいけないという決まりがあるようで、一軒家が殆どだ。一部畑が残っている土地も見られる。また、狭い路地が入り組んでおり、何も考えずに通ると方角を見失って迷子の感覚を得ることがある。それが平日の快晴の早朝か昼間だったりすると、恐ろしく静かな空間で一人迷子になっているような気がして(迷子なのだが)、奇妙な感覚がとても面白い。静かすぎる感じがまるで演出されてるのではと錯覚するぐらいだ。

このサイクリングもしくは散歩は、できればその都度迷子になることが望ましい(本当の出勤であれば困るが…)。その分、周囲を観察しようという意欲が少し強まるからだ。普段見過ごしていたものを発見できるみたいな副産物もある。その時の気分や、時刻、季節、天候色んな要素が毎日違うため、見え方も変わってくる。日々忙しいと、こういう運動の時間を確保するのはなかなか難しいかもしれないが、休日の朝などに、ちょっとした周囲の変化を見つけ出すみたいな時間というのは個人的には大切だと思っている。

2014年12月3日水曜日

情報の更新

自分が持っている情報の中で、割と一生使えそうな情報から、「今はもう使えない」情報までたくさんある。つまり情報には新旧様々なものが存在する。そして、日常の中で「あれ?この情報ちょっと古くないか?」と感じるケースに、時々遭遇する。

例えば、日光にあたり過ぎると紫外線の影響で皮膚にダメージが蓄積されてしまう、というのは今でこそ概ね世間に認知されていることだが、かつては日焼けをすれば健康的だという考え方があった。僕が日焼けをしている人を見れば「ああ、炎天下でも外で働いている人なのかな」とか「運動部なのかな」とかは思うかもしれないけど、少なくとももう「健康的だな」とは思わなくなった。情報更新が行われて、考え方に影響が出た、ということだ。

情報を更新するかどうかは本人の自由なのだが、ここに他者とのギャップが生じると、会話の際にちょっとした違和感が生じることもあったり、酷くなるとコミュニケーションそのものに影響が出てしまうこともあるように思う。前述の例で言うと、日光浴は体に良いのでもっと日焼けをすべきだ、と思っている人もいるかもしれないし、そうは思わないという人もいるかもしれない、ということだ。ちなみに個人的には、短時間日に当たるぐらいであればビタミンDも生成されるので、少しは日に当たることが必要である、と思っている。

古い情報がすべて悪いと言っているのではない。ただ、自分が必要な情報が古いままだと、何らかの不利益が発生する可能性はあるかもしれない。自分が知るべき情報の中で、これは古いものなのか、新しいものなのか、更新すべきか、しなくてもよいか、そういった判断も出来るようになりたい。