2014年11月28日金曜日

想像と予測の連続

様々な仕事には、想像と予測が必須である。これらは日常で当たり前に使われているが、多くはリスクを回避したり、適切な結果を得るために行われている。

例えば、僕は、自分が作った動画をモニタ等に映す際、ちゃんと動画が画面に映るかどうかの検証を行う。ここで言う「動画」とは、一般的にテレビやPCのモニタ等で流れる映像データの事だ。
動画には様々なフォーマットがあり、映しだす環境によってかなり高い確率で不具合が発生する。以前取り扱った動画は、ループでモニタに流したかったものなのだが、何度かループをさせているうちに、映像が劣化して画面が荒れて見えてしまうという症状が発生した。
さて、その不具合を解決をするために、様々な予測がなされる。例えば動画データの容量がかなり重いのではないか、とか、エンコードといって、映しだす環境に合わせた動画の再生のための数値の調整(単純に言ってしまうと、再生するための設定)が必要なのではないか、など。この工程自体、5回ぐらい、多い時は10回以上繰り返して原因を突き止めてやっと解決する。ちなみにその時は、動画の尺(秒数)が長かったのが不具合の原因であった。こういった作業は1日で終わらないこともあり、検証とにらめっこ、ということになる。

こういったことは何も映像の作業に限らず、色んな仕事でも発生している、と推察できる。「もしかしたら、こうかもしれない」と想像して予測することは、問題を発見し、より良い結果を生み出すためには必須と言える。

2014年11月26日水曜日

作品に浸る、とは


作品に対して、「浸る」という言葉を使うことがある。浸る、とは水などの液体にどっぷりとつかる、とか、何か面白いことに没頭する、ハマる、みたいな時に使われる。たまたま僕の周りで聞くだけで、実際はハマるという言葉の方がなじみ深いかもしれない。強いて「作品に浸る」と言われれば、作品の世界観等に自分がなじんでゆく、みたいな感覚だろうか。

作品によって色んな浸り方があると思うが、キャラクターや物語の面白さ、独特な世界観、コンテンツの楽しさ等に魅力を感じて、ユーザーが作品の中に身をゆだねるみたいな感覚があるのかもしれない。

映像や漫画であれば、視聴者はその状況を目撃する人になる。もしかすると作品の中で感情移入できるキャラがいるかもしれない。色んな要素から「自分の居場所」が確保されるような感覚を持つ。つまり自分はこの世界に居ても良いんだという感覚が生まれ、身をゆだねても良い状況になる。

コンテンツの場合、大抵の作品にはある種の決まりごとみたいなものが存在し、ユーザー達はその決まりごとを守ることで、個人個人が世界観を作っていくみたいなこともある。同じ価値基準を共有することで、コミュニティが強固になってゆく。ここでも浸るために「自分の居場所」の確保という作業が行われる。

作品に思う存分浸るためには、いわば安全地帯みたいな「自分の居場所」あってこそ
成り立つのかもしれない。

2014年11月8日土曜日

見えないけど確かに在ると思わせる感覚

僕が好きな作品のうちの幾つかには「粋」
みたいなものが込められている気がする。
例えも抽象的になるのですが
普通なら、ABCとカットが進めば何の問題も無く
物語を理解できるところを、
ADBC、と一見無用に見えるDを挟みこんで、
前後のカットの良さを引き立てる、
みたいなことをちゃんとしてくれるような作品。
作り手側はそれを主張することなく
言わずにそれとなく入れている
みたいなところが大事なの。