2014年12月28日日曜日

稀の傾斜

稀さ、というのはその人にとっての価値に直結する。得難いとか、レアだなと本人が思う時の要素として時間と言うのは重要な要素となる。例えば、100年に一度の完成度を誇る名酒、があったとすれば、お酒そのものの機能的な価値よりも、人によっては100年に一度の完成度、のほうが価値としては高いと考える人もいるかもしれない。
先日も、ある記念商品が数量限定販売されるとかで、それがほしい人で売り場がごった返す、みたいなことがあった。記念である、数量限定である、この日にしか手に入らない、などの価値の掛け算が発生した結果、多くの人が詰めかけたのだと思われる。
考え方によっては、モノ、場所、イベント、自然現象、等も本人にとって、稀少さの方向に傾きが発生して価値が高いものになる。本人の受け取り方次第、なのかもしれない。

2014年12月8日月曜日

色彩変化と迷子

最近は朝7時~8時に、自転車で走ることが多い。丁度その時間帯は通勤や通学の人が歩いている時間帯なので、自分も出勤するつもりで走る。

走る時間帯によって雰囲気も異なるから気分も変わってくる。早朝だとまだ空気も澄んでおり、徐々に周囲に陽の光が当たってくることで明度が上がってくる。体はとても冷えるが、それでも静かな時間帯を走ると、目も冴えて気分が良い。「冬はつとめて」の感覚かも。夕刻だと色が赤みがかってくる時間帯が良い。景色の色彩変化を楽しめる。夜は夜で、独特の静けさがあって良いが、さすがに冬は少々冷える。夜に走るのであれば、夏場の方が良いと感じる。1、2時間ほど朝に運動しておけば、夜は早い時間で眠くなるので、やはり運動は朝の方が良いのかもしれない。

ところで、自分の住む地域から少し離れたところにとても静かな住宅地がある。その地域は高い建物を建設してはいけないという決まりがあるようで、一軒家が殆どだ。一部畑が残っている土地も見られる。また、狭い路地が入り組んでおり、何も考えずに通ると方角を見失って迷子の感覚を得ることがある。それが平日の快晴の早朝か昼間だったりすると、恐ろしく静かな空間で一人迷子になっているような気がして(迷子なのだが)、奇妙な感覚がとても面白い。静かすぎる感じがまるで演出されてるのではと錯覚するぐらいだ。

このサイクリングもしくは散歩は、できればその都度迷子になることが望ましい(本当の出勤であれば困るが…)。その分、周囲を観察しようという意欲が少し強まるからだ。普段見過ごしていたものを発見できるみたいな副産物もある。その時の気分や、時刻、季節、天候色んな要素が毎日違うため、見え方も変わってくる。日々忙しいと、こういう運動の時間を確保するのはなかなか難しいかもしれないが、休日の朝などに、ちょっとした周囲の変化を見つけ出すみたいな時間というのは個人的には大切だと思っている。

2014年12月3日水曜日

情報の更新

自分が持っている情報の中で、割と一生使えそうな情報から、「今はもう使えない」情報までたくさんある。つまり情報には新旧様々なものが存在する。そして、日常の中で「あれ?この情報ちょっと古くないか?」と感じるケースに、時々遭遇する。

例えば、日光にあたり過ぎると紫外線の影響で皮膚にダメージが蓄積されてしまう、というのは今でこそ概ね世間に認知されていることだが、かつては日焼けをすれば健康的だという考え方があった。僕が日焼けをしている人を見れば「ああ、炎天下でも外で働いている人なのかな」とか「運動部なのかな」とかは思うかもしれないけど、少なくとももう「健康的だな」とは思わなくなった。情報更新が行われて、考え方に影響が出た、ということだ。

情報を更新するかどうかは本人の自由なのだが、ここに他者とのギャップが生じると、会話の際にちょっとした違和感が生じることもあったり、酷くなるとコミュニケーションそのものに影響が出てしまうこともあるように思う。前述の例で言うと、日光浴は体に良いのでもっと日焼けをすべきだ、と思っている人もいるかもしれないし、そうは思わないという人もいるかもしれない、ということだ。ちなみに個人的には、短時間日に当たるぐらいであればビタミンDも生成されるので、少しは日に当たることが必要である、と思っている。

古い情報がすべて悪いと言っているのではない。ただ、自分が必要な情報が古いままだと、何らかの不利益が発生する可能性はあるかもしれない。自分が知るべき情報の中で、これは古いものなのか、新しいものなのか、更新すべきか、しなくてもよいか、そういった判断も出来るようになりたい。

2014年11月28日金曜日

想像と予測の連続

様々な仕事には、想像と予測が必須である。これらは日常で当たり前に使われているが、多くはリスクを回避したり、適切な結果を得るために行われている。

例えば、僕は、自分が作った動画をモニタ等に映す際、ちゃんと動画が画面に映るかどうかの検証を行う。ここで言う「動画」とは、一般的にテレビやPCのモニタ等で流れる映像データの事だ。
動画には様々なフォーマットがあり、映しだす環境によってかなり高い確率で不具合が発生する。以前取り扱った動画は、ループでモニタに流したかったものなのだが、何度かループをさせているうちに、映像が劣化して画面が荒れて見えてしまうという症状が発生した。
さて、その不具合を解決をするために、様々な予測がなされる。例えば動画データの容量がかなり重いのではないか、とか、エンコードといって、映しだす環境に合わせた動画の再生のための数値の調整(単純に言ってしまうと、再生するための設定)が必要なのではないか、など。この工程自体、5回ぐらい、多い時は10回以上繰り返して原因を突き止めてやっと解決する。ちなみにその時は、動画の尺(秒数)が長かったのが不具合の原因であった。こういった作業は1日で終わらないこともあり、検証とにらめっこ、ということになる。

こういったことは何も映像の作業に限らず、色んな仕事でも発生している、と推察できる。「もしかしたら、こうかもしれない」と想像して予測することは、問題を発見し、より良い結果を生み出すためには必須と言える。

2014年11月26日水曜日

作品に浸る、とは


作品に対して、「浸る」という言葉を使うことがある。浸る、とは水などの液体にどっぷりとつかる、とか、何か面白いことに没頭する、ハマる、みたいな時に使われる。たまたま僕の周りで聞くだけで、実際はハマるという言葉の方がなじみ深いかもしれない。強いて「作品に浸る」と言われれば、作品の世界観等に自分がなじんでゆく、みたいな感覚だろうか。

作品によって色んな浸り方があると思うが、キャラクターや物語の面白さ、独特な世界観、コンテンツの楽しさ等に魅力を感じて、ユーザーが作品の中に身をゆだねるみたいな感覚があるのかもしれない。

映像や漫画であれば、視聴者はその状況を目撃する人になる。もしかすると作品の中で感情移入できるキャラがいるかもしれない。色んな要素から「自分の居場所」が確保されるような感覚を持つ。つまり自分はこの世界に居ても良いんだという感覚が生まれ、身をゆだねても良い状況になる。

コンテンツの場合、大抵の作品にはある種の決まりごとみたいなものが存在し、ユーザー達はその決まりごとを守ることで、個人個人が世界観を作っていくみたいなこともある。同じ価値基準を共有することで、コミュニティが強固になってゆく。ここでも浸るために「自分の居場所」の確保という作業が行われる。

作品に思う存分浸るためには、いわば安全地帯みたいな「自分の居場所」あってこそ
成り立つのかもしれない。

2014年11月8日土曜日

見えないけど確かに在ると思わせる感覚

僕が好きな作品のうちの幾つかには「粋」
みたいなものが込められている気がする。
例えも抽象的になるのですが
普通なら、ABCとカットが進めば何の問題も無く
物語を理解できるところを、
ADBC、と一見無用に見えるDを挟みこんで、
前後のカットの良さを引き立てる、
みたいなことをちゃんとしてくれるような作品。
作り手側はそれを主張することなく
言わずにそれとなく入れている
みたいなところが大事なの。

2014年10月23日木曜日

ハングリーブレイク

FRENZ2014で出展致しました、ハングリーブレイクをUPしましたよ。
こういう短い作品はカットの作り方を色々考えるので
作ってて楽しいです。今回は3話までですが、
ちょこちょこと作っていきたいです。

https://www.youtube.com/watch?v=v934pizh86s

2014年10月14日火曜日

無題

1カ月で生活するなかでインフラやらサービスやら自動的に引き落とされるお金って年々高くなってるんじゃないかな?特に学生さんとかって相当大変なんじゃないかと想像する。

2014年10月4日土曜日

ステーションポイント

お昼ごはんを食べている時には晩御飯は食べられない。
文字にしてみると当たり前だけど、
 「今できること」は分かっていても
「今はできないこと」を把握することは
案外盲点になりやすい。

ものを作る時にも大事なことで自分が
「この段階までは分かる」けど
「この段階から先は分からない」
みたいなことを把握することで
色んな問題点に挑めることもある。

2014年9月25日木曜日

穴場

目立たないこともそれなりに価値がある、という考え方は好き。
穴場の観光地とかがそれに当たるのかな。
人であふれることで観光地の価値が下がるという
訳ではないかもしれないけど、少なくとも
体験できる魅力は半減するかもしれない。
僕は旅に出るときはマニアな空間が好きだ。

2014年9月21日日曜日

キジバト

本日も外からキジバトさんの鳴き声が聞こえてくる。
あの力の抜けた鳴き声はきっと日本を少しだけ
平和にしてくれている。

2014年9月20日土曜日

何かだけをする

何かだけをする日、というのがたまにある。
具体的には、あることについてただひたすら考えてるだけの日
とか、文章打ってるだけの日とか、チャリこいでるだけの日。
ボーっとするとはちょっと違うかもしれない。
お酒アニメ作りたい、だったらそのことだけを考えてるとか。
ある単語から色々と連想していって全然違うことになったりとか。
デバッグみたいなものかも。

2014年8月8日金曜日

変換

先日原体験みたいな話をしていたとき、
小さい頃は、自分で現象を言語化する能力が養われていないので、
「よくわからないなにか」としてしばらくウェイトされているようなモノもあったりするかも
と思った。
あれ、あの時のこの感覚はなんだろう、とか、こういうイベントの時に感じる
ものってなんだろう、みたいなそういう実体的ではないもの。
それらのなかには、本当に忘れてしまったものもあるかもしれない。
運よくそれらの中で大人になっても覚えているものもある。
満を持して言葉にする段階で、今度は自分が覚えていた「よくわからないなにか」の
情報の精度は言葉によって削られてしまうので、人に伝えるときには
デフォルメされており、たぶんニュアンスが違うものとして伝わる。
こういうのが「思い出」っぽいものとして形になるのかもしれない。

2014年8月5日火曜日

手段が選ばれる

よく、「目的のためには手段は選ばない」というフレーズを聞く。
漫画などでは悪役さんが、冷徹な行動を起こす時等で
使用されるだろうか。感情に流されず
選択すべきケースはある。自暴自棄どころか
むしろ理にかなっているケースもある。
この手段を選ばない、というのは様々な選択肢の
可能性を殺さない、という言い方もできる。
そして、もう少し突き詰めてゆくと、様々な手段の中からベストと思われる
手段を選別してゆくことだと思う。
良い悪役さん(と言う言い方も変だがw)は色々と考えた上で
手段を選ばないところまで行きついているのだと思う。

ところで漫画の悪い悪役さん(良い悪役さんとは逆である)
がこの言葉を発するときは
「もう選択肢が僅かしかない」状況が多い気がする。

2014年7月19日土曜日

それなりに言語化をする

自分の中で完結するのであれば、必要な時に排出する程度の
言語があれば十分だけど、「技術的にこういうことが起きています」
「技術的にこういうことが可能です」
みたいな事を人に伝えるとき、やはりある程度は伝わる必要がある。
業種によってはそれらには優れたマニュアル化が行われている
のだが、こと創作の話になってくると、マニュアル化できる部分と
マニュアル化することがとても難しいところがある。
いずれにしても、伝えるための言語化の精度は高めなければならない。
ただ、言語化するとどうしても本来自分が必要なんじゃないかと思っていたことも
削ぎ落されることがあるので難しい。
それなりに言語化するためには現象を冷静に見る目も必要だし、
冷静に言葉にする語彙力も必要か。

2014年7月18日金曜日

精度と工程

チェック工程A、B、Cを経て完成という工程があったとする。
 
チェックAの精度が上がればAのミスが減る。
チェックBの精度が上がればABでのミスが減る。
チェックCの精度が上がればABCそれぞれのミスが減る。

ういう工程を踏まえ、それぞれのチェックを惜しまなければ
 完成の工程での、初期段階うっかりミスの確率も下げられる。

2014年7月17日木曜日

さんぽ

昨日、夜散歩にでかけたら、30分ほどで通ったことの無い道に入った。
そこからは見たことの無い景色だ。何も考えず歩いていると
そのうち小さな商店街にさしかかった。まさか30分徒歩圏内に自分の
知らない商店街があったなんてととても嬉しくなった。
スマートフォンを持っていたので、googleマップでも見れば特に迷うことなく
帰宅できるのだが、むしろそれはもったいないと感じてそのまま道に
迷うことにした。
結局当初よりも30分以上時間をかけて散歩は終了したけど、こういう
散歩も悪くないと思った。

2014年7月10日木曜日

ある現象を目にして、その人にとって都合のよい型が見つかると、
案外人はその型に身を委ねることを
良しとするような気がする。もちろんそれ自体が悪い事だとは
思わない。「型にはまらない」とはそれだけ難しいものなのかもしれない。

2014年7月2日水曜日

禁止と制限の間で

同人誌等を作る時。
これがやりたい、これしかやっちゃいけない。
等の選択がある。
予算も時間も発行部数も参戦イベントも
コンセプトも…全部自分が決めるもの。
先日、ある二次創作の本を読んだのだが、
やりたいこと、見せたいものが一貫しており、
すごく見ごたえのある本になっており感動した。
「これしかやっちゃいけない」は
禁止するニュアンスが強いが
「これだけは絶対に入れる」とも言えるかも。

2014年6月24日火曜日

2014年6月15日日曜日

さんたく

食べ物アレルギーは

①食ったら死ぬから無理
②ほんとは無理だけど超我慢すれば何とかなる
③大丈夫(アレルギー反応無し)

のみっつぐらいに分かれる気がする。
僕のエビとか刺身は②に該当する。
「ほんとは無理だけど」が肝である。
これを「まあ食べ物は好みがあるからね」みたいに言われると厳しい…アレルギーに
好き嫌いは関係ないのだ。

2014年5月18日日曜日

ゆるやかな傾斜

折角作品を見たり読んだりするのであれば僕はそこから
「影響を受けたいな」と思うし、仮に期待外れだったとしても
ちょっとは拾えるものもある。最初から偏った思考で、極端な角度から
見ようとすると思わぬ弊害になることもあるから、そこは拘らずに見たい。

2014年5月16日金曜日

ネバリ

これはもう色んな事実から導き出せるとは思うのですが、
何か創作する時、作る人の諦めの悪さは非常に重要です。

私の友人で昔から同じ二次創作を作り続けている人がいて、年々技術が進んでいることを外からみても分かります。きっと知恵を絞って本人なりの工夫が生み出されているのだろうと思います。
そもそも、ずっと継続して作ること自体がまず大変なことなので、「継続する」と決めたとき
覚悟や実現のための想像をしなきゃいけない。

創作ではないですがそういえば…窮地に陥った時の次元大介の台詞に「俺は諦めが悪いんだ」という台詞があって、ああ、プロの仕事ってそういう側面も必要なんだなーって思ったことが有ります。諦めが悪いと言えば銭形警部も諦め悪いですよね。
ある意味それらは粘り強い、とも言えるでしょうか。

2014年4月29日火曜日

面倒くさいのが良い

自主制作の事を書いています。大抵こういう話は長くなりますね。



仕事は一人で作業が完結することはとても少ない。きっと自分以外の人が
工程のどこかに携わっているだろうと思う。会社組織内でも、自分は気がついていなくても、人の力を借りて仕事を進めているということはきっとあるはずだ。そこに気がつくことができれば、この仕事では自分に何が求められているか?が見えてくるのではないかと思う。
 仕事は面倒くさい作業を、専門分野に長けた人たちが手分けしてさばいている、そんな印象がある。

自主制作アニメは一人で行う作業がとても多い。
ただでさえアニメは制作工程が果てしなく長いので、個人での自主制作アニメとなると、途中で面倒くさくなることもあるかもしれない、少なくとも僕はよくある。
 僕が初めて作った自主制作アニメでは監督をやった。監督だけではなく、実際は殆ど全部の工程に僕の手が入っている(自主制作で監督ってなってる人は大抵殆どのことをやっているような…)。それ以降でも、僕の作るアニメは、僕が手を動かす工程が多いし、先の1本目制作には2年かかっている。他人から見ると恐らく「よくもまあそんな面倒なことができるよね」とか「もっと人に振ればいいのに」と思われてるだろうし、実際言われる。

しかし、これを「面倒くさいからやらない」などと言って投げてしまうのは実は勿体ないと思っている。自主制作アニメ、あるいは同人誌の制作もそうだが、別にこれらは仕事じゃないのだから、むしろ仕事ではできないようなことができると考えた方が面白いし疲れない。

 例えば同人誌を描く人で、本職が漫画家さんや出版業界ではない人も当然描いている。別に本職の人でなくてもネームを切ったり、オリジナルキャラのアイディアを考えたり、本の紙質にこだわって製本したりすることだってできる。誰からも制作途上でケチを付けられずに済むのもきっと大きい。たまに同人誌を作っている人でも、印刷所入稿の締め切りに追われている人がいる。案外そういう人は作業の中で「大変だ」「面倒くさい」「落ちる」と言いつつも、実はとても楽しんでいるのかもしれない。

 これら自主制作アニメや同人誌制作は「仕事が忙しいけど、時間が無いのを削ってでもやりたいな」
と自分が思うものだからこそ、仕事以外でもわざわざ作るのだと思う。
せっかくなら面倒くさいと言いながらも楽しみたい。

2014年4月22日火曜日

雨の日は

松居慶子さんの曲をかける。朝、昼、夕方、夜。いつかけてもそれぞれの
雰囲気が出る。

2014年4月7日月曜日

好きではないけど買う

誰かの行動や主張、意見に対し、別に好き嫌いを前提として言っているわけではないけど、「…てことは~が好きなんですか?」のような展開を見ることがある。
あるいは行動や主張、意見等を聞いてみると、その人の好き嫌いが介入していることがある。主張することは、自分の好みを言うことみたいにとらえる人もいるようだ。

しかし、例えば多くの家では「炊飯器」があると思うが、この炊飯器が物凄く好きだから買ったという動機の人は必ずしも多くはないと思う。「炊飯器が好きなんですか?」と質問すれば「いや、米を炊くのに必要だから」と答えると思う。同様に「洗濯機が好きだから」という理由で洗濯機を買うとは限らないし、むしろ「洗濯が好きだから」という理由はあるかもしれない。
ここで言いたいのは、炊飯器や洗濯機を買ったからといって、それらが好きとは限らず、好きでも嫌いでもないこともある、ということ。人にとって好き嫌いは相当重視されているし、僕も確かに「好み」は入る。
僕の場合、例えば服をかけるハンガー。好き嫌いの感情を乗せるとハンガーは「好きではない」のだが、それでも衣服をかけておくためには必要なので買う。もしここにムリヤリ僕の好みが入るとしたら、「せめて自分が好きな色のハンガーにしよう」とか「プラスチック製ではなく木製のものにしよう」等が介入するだろう。

行動や主張、意見が何に基づいているのか、好き嫌いと切り離して考えれば、分かってくることもある。

2014年3月31日月曜日

想像力

「想像力」とは「もうすこし考える」というニュアンスが込められていると思っています。

例えば、目の前に針があって、その先端を指で押そうとするとチクっとするだろうな、というのは「想像」出来るかと思います、ではその針を持ち運びたい、となったとき、どのようにすれば運べるだろうか、どういう道具を使えばいいだろうか、どういう結果が得られるだろうか、そう考えるのが「想像力」だと思います。指、針、触ると痛い、持ち運びたい、などの情報から、どうすればどうなるか、を「考えた」わけですね。
考えた上で適切な行動を取れば、自分の望んだ結果が得られる。そうなれば「想像力が働いた」と言えるでしょうか。

想像力はクリエイティブな場でもたまに使用される言葉ですが、むしろ生活していく中で、もう少し考えることで、より生活しやすくなるという意味合いが強いのかなと思います。

2014年3月30日日曜日

検証

画面を作る際、いきなり良いものにすることは大変なので、もっと「検証する」という工程があってもイイと思う。イメージボードとかはそれに近いのかな。ソフトを使う撮影とかは結構やってるよね。
すごく大変かもだけど、絵コンテのコンペをやってその中から良いものをピックアップしてゆく…とか。

2014年3月24日月曜日

私は普段から水を良く飲むのですが…日々の買い物の中で必ず買っている水だがまとめ買いした方がいい気がしてきた。
もっと言うとウオーターサーバを設置した方が良いのではないか…

2014年3月19日水曜日

更新

昔好きだった作品よりも最近の作品のほうが好きになったり、昔は興味あった娯楽が今は興味薄れたりと、自分でも割と移り気のある人という自覚があります(単に飽きっぽいというだけか…)。
ですが、こういった更新は気持ち的にも楽だし、思考も偏らないかなと思っているので、まあこの更新による変化を楽しもう、と考えるようにしています。

2014年3月8日土曜日

色んな出来事を経る

ある出来事があって、自分の過去に作った自主制作のことを振り返るきっかけになった。
年月がたっていても、そこで出てくるキャラクタは今も生きている。

2014年2月28日金曜日

二月

友人の誕生日で乗った屋形船に始まった二月がもう終わろうとしている。
思えば過去二月が忙しくなかったためしは無く。毎日工数表を付けているが
そろそろ0がつく日が欲しい。。なんとなく二月と八月って忙しくなるイメージ。

2014年2月9日日曜日

旋律の前の物質

その音楽のクオリティ、好み以前に、その作者がどういう思いで曲を作っているのか、という段階で聞くか聞かないかを無意識に決めているように思います。
例えば「努力」をテーマとした曲があったとします。その作者の「努力」というテーマのとらえ方に自分が共感できない限り、メロディが良くてもその曲を聞くことはないでしょう。。
つまり、音楽を聞く動機は(少なくとも僕の場合はです)、音楽を聞く前の段階で既に決定づけられているのではないか、ということです。

2014年2月6日木曜日

連綿

「何度も見なきゃ分からない作品」は一長一短だと思うけど
「何度も見たい!」と思わせるのはアリだと思う。
例えばカリオストロの城でルパンが偽指輪を作っているのって、あれワルサ―の銃弾を溶かして作っていたのね、とか、クラリスの幽閉されてる塔でルパンはわざと落とし穴の上に立った。とか。直前にジョドーの落とし穴も気づいてるし。
有名どころではアバンで札束まみれの車の中にごえもんがいるとか。
初見じゃ気がつかないこともある。

2014年2月4日火曜日

音に聞く

歌詞や、作品タイトル、地名とかの中には、口に出して言いたいものとかありますよね。ちょっと上手く言語にできませんが、例えば韻を踏んでいたり、ンの音や濁音が丁度いい位置に入っていたり…複数のルールをうまいこと乗り越えた言葉は残っていきやすくなるのかな、とかをレンダリング中に考えていたのでした。。。

2014年1月30日木曜日

メンタルケアな話

創作する時って体内の毒物的な何かを常に排出して作るよね(多分)。
その余波が例えばTweetとかに感染することもあるかもしれない…。周りからするといい迷惑だけど、作ってる本人にとってはそれでバランスが取れるのだとしたら案外健康的なのかも、とか考える。作ることをもう生活の一部として取り入れてしまった人は、作り続けたほうが健康なのかもしれませんね。

過去からくる今へ

「夢を初めて願って今日までどの位経っただろう ずっと一日ずつ 繋げよう」
「M@STER PIECE」の一節です。全身に染みわたってゆくような感覚があります…。

2014年1月29日水曜日

記号と成長

アニメーション映画「THE IDOLM@STER MOVIE 輝きの向こう側へ!」で感じたことをとりあえず少しずつ書いて行くぞ。

過去のキャラクターが成長し、今のキャラクターに成ったことを画面内に描くのはとても難しくて…、それらは「成長を描きました!」というだけではなく、色んな出来事やキャラの言動等をコツコツと積み重ねてゆき、見ている側はそれらを吸収していくことで深く理解することができる。アニメーションは記号の連続ですが、その記号を最大限に活用し、見ている人に複合的な感動を与えることにチャレンジしているのではないか。
こういう小さな何かを一つ一つ積み重ねてゆく感触がある画面には魅かれます。
伏線というのとは少し意味合いは違うかもしれませんが、その色んな「何か」が未来に起こりうる変化に関与していること。その変化の群れ達を垣間見たとき、降り幅が大きければまた感動も大きくなるのかもしれません。

2014年1月26日日曜日

輝きの向こう側へ!

アイマス劇場版、輝きの向こう側へ!見てきました。
とてもよかったです、後日感想をまとめますよー。

2014年1月25日土曜日

バランス感覚

バランス感覚ってとても大事だと思うんです。晴れも良いけどたまには雨もいいよね的なバランス感覚。
これが、「太陽め~いつも俺をジリジリと焼いてきやがる!ゆるせねぇっ」的なうらみ節になると疲弊してしまいますよね。てなことを感じることもあります。

2014年1月22日水曜日

諸々

3D作業であります。CINEMA4Dはアップグレードにお金がかかりすぎるので未だ12。
無料のblenderも時間作って触ってみようかな。データのやり取りの面がクリアできれば割と現実的かもしれない。
そんなわけで一応僕は作画の人なのだが、いつの間にか3Dも触っている。3Dでエフェクトとかも作りたいな。

2014年1月19日日曜日

伏線ねっと

現象の連鎖的なものを見たい、一つの出来事は色んな現象に繋がっているはずで、それを示唆する出来事を時々かいま見ることができるような。伏線ネットワーク的な。ギャグアニメとかで見てみたいな

2014年1月6日月曜日

変化

変化をする、立ち向かう、成長する、乗り越える、キャラクターのそういうところが見てみたいし描きたい。

2014年1月5日日曜日

蟲師

蟲師が4月から続章があるそうだ。
嬉しいなあ、楽しみ過ぎる!

2014年1月3日金曜日

2014あけ

あけましておめでとうございます。
今年も目の前のことひとつひとつに全力で取り組む精神で
いきます!